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「北部同盟」について
反タリバン派は、かつての反ソ・モジャヒディン各組織が緩やか連合した組織である。(通常名称として、北部連合<northrn alience>、統一戦線<united front>等が用いられる)
軍隊は各派で自立しており、統一指揮をとる組織は存在しない。
かれら反タリバン連合はかつてアフガンの社会主義政権が崩壊した後に互いに抗争を続けてアフガン全土に無秩序な戦争状態を生み出した。(1992〜1996)今日同盟を結んでいるイスラム協会、イスラム統一党、ドスタムのいずれの3者も過去に同盟・敵対を繰り返し、カブール掌握を巡る戦いでは互いに激しく戦火を交えた。
タリバンが全土を掌握できた一つの理由は、反タリバン派がこのような過去の対立関係を解消できず、タリバンに対抗する統一戦線を組めなかった点にある。
北部連合を攻勢する主要各派は下記の通り
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北部連合(統一戦線) を構成する党派 |
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組織名 |
指導者 |
主要民族 |
根拠地 |
主な支援国 |
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イスラム協会(通称マスード派) |
グルバディン・ラバニ |
タジク人 |
ファイザバード |
タジキスタン、イラン、ロシア、インド |
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イスラム統一党 |
ハリリ・ハリム |
ハザラ人 |
アフガン中央高地・バーミアン地方 |
イラン |
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NIMA |
アブダル・ラシッド・ドスタム |
ウズベク人(スンニ派) |
アフガン北部・マザリシャリフ |
ウズベキスタン |
http://watan-jp.hoops.ne.jp/Special/civil_war1.htm「タリバンの首都掌握以降の内戦状況」
各党派について、詳しく見てみると…
「アフガニスタン・イスラム協会」
党派の綱領としては、穏健派イスラム国家の建設が発表された。アフガニスタン・イスラム協会は、何よりも、タジク人住民の利益を代表している。あるデータによれば、党派には、約10万人が属しているが、後の政治的現実を考慮すれば、この数字は、非常に疑わしくすらある。
党首は、ブルハヌディン・ラバニである。1942年、バダフシャン州イシュカシム市(別の情報によれば、ファイザバード市)に生まれ、ヤフタリ民族集団のタジク人である。カブール大学神学部を卒業し、神学教授である。政治生活には、王政転覆及びダウドの世俗統治の樹立後、1975年頃から参加している。1982年、独自の政党(アフガニスタン・イスラム協会)を創設した。
アフガン社会の差異の民族・領域原則は、何らかの集団の何らかの地域に対する影響力及び支配の拡大をもたらし、その規準となっている。つまり、アフガニスタン・イスラム協会は、特にタジク住民の密集する州を支配している。アフガン社会の封建的軍事機構においては、各集団における特務機関として分類できる機関の役割が非常に高い。
「アフガニスタン民族イスラム運動」
アフガニスタン民族イスラム運動は、その専従党員の多くがバブラク・カルマリ及びナジブラ政府と密接に関係したアフガニスタンの政治舞台で活動する恐らく唯一の軍事・政治集団である。各種民族集団の代表の利益を反映する運動は、主として、国の発展の世俗的方針に傾いている。それにも拘らず、大多数は、ウズベク人が構成する。1992年、ドスタムは、アフガニスタン民族イスラム運動を組織し、その指導者となった。アフガニスタン民族イスラム運動の任務となったのは、「イスラム教に基づく」連邦制国家のアフガニスタンにおける創設のための闘いである。
アフガニスタン民族イスラム運動の支持者の大多数が、ウズベク人、トルクメン人等、トルコ系民族の代表者が構成する以上、尊基盤は、この民族の居住領域であり、北部のジョーズガン、クンドゥス、サマンガン、バルフ、ファリアブ、バトギス州である。事実上、運動は、機構的にドスタム将軍の軍事部隊と関連し、現地当局と密接に協力しつつ、イデオロギー上でも、実践的にもこの部隊への支援を保障する政治連合体である。非常に多くの場合、アフガニスタン民族イスラム運動の地域機構は、同時に地域権力でもあり、必要な際、権力機能の行使のために、伝統的な機構(長老会議等)が参加する。特に、そのような権力の図式は、1997〜1998年の各時期に、ジョーズガン及びファリアブ州において、記者により観察された。個々の地域(特に、ファリアブ州のケイサル、アリマル居住区)において、地域権力のこの図式は、軍事要素も含んでいた。言い換えれば、村長は、同時に政治指導者であるだけではなく、地域守備隊及びそれに加わる軍事部隊の指揮官でもある。ドスタムは、長期間、非公式にタシケントを訪問しつつ、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフと密接な接触を維持している。
「アフガニスタン・イスラム統一党」
アフガンのシーア派、何よりもハザラ人を統合する。先ず第1に宗教的に結集しつつ、アフガニスタン・イスラム統一党は、伝統的に隣国イランを指向している。アフガニスタン・イスラム統一党は、1990年、親イラン指向の一連のシーア派集団の同盟として、イラン領土で創設された。アフガニスタン・イスラム党の創設は、イランの宗教権威オリ-エスラム・モルタザビ師が後援し、初代指導者には、アブドゥル・アリ・マザリがなった。1995年3月、タリバンにより、党の創設者アブドゥル・アリ・マザリが暗殺され、その後、分裂が引き続いた。アフガニスタン領土で活動する主要なシーア派集団を率いたのは、アブドゥル・カリム・ハリリ教授である。アフガニスタン民族イスラム運動の主目的は、イラン型穏健派原理主義の原則におけるイスラム国家のアフガニスタンにおける創設である。未来のアフガニスタンの問題におけるアフガニスタン民族イスラム運動の立場は、シーア派が25%以上を得られる連合政府の創設である。
http://intell.hoops.ne.jp/af/party.htm「アフガニスタンにおける政党建設」
内戦の被害
http://watan-jp.hoops.ne.jp/Special/civil_war1.htm
本当にアフガニスタンに平和はやってくるのか(感じたこと)
今や、首都カブールには音楽が流れ、そして女性がブルカをはずし、ひげをそった男の人が町を歩いています。一見、北部同盟のおかげで平和が訪れたような気がします。しかし本当の意味で平和は訪れるのでしょうか。そこのところは疑問の余地が残ると思います。
今回調べてみて、北部同盟というのは構成する民族もそして支援する国も異なっていて、単にタリバンに対抗するということでまとまっていたということを感じました。さらに、タリバンが出現する以前において、構成しているそれぞれの党派が内戦を起こしていたということを考えると、また内戦が起こるとも限らないと思います。そして、またタリバンがパシュトゥーン人から構成されていて、北部同盟がパシュトゥーン人以外で構成されていることを考えると、これから彼らの人権被害も考えられます。
そして何より今回感じたことは、本当に「敵の敵は味方のなのか」ということです。北部同盟にしてもタリバンの敵であるから味方同士として成り立っているし、それからアメリカにしても、タリバンの敵であるから北部同盟と協力したわけです。そして、ソ連進行の時でも、ソ連の敵だからということで、アメリカはお金や武器を援助したわけです。はっきりとどの国も政党もアフガニスタンの国民のことを考えていません。自分と敵対する国なり政党なりを攻撃するために、支援したり戦ったりしているだけです。北部同盟のなかの政党を支援している国だってそうです。アフガニスタンの国民のことなど考えていません。私は、アフガニスタンの国民がそういう国内でなく、周りのいろいろな国の争いによる被害を一身に受けているということを強く感じました。
果たして、これから本当にアフガニスタンに平和は訪れるのか、それはまだ分かりませんが、北部同盟が国連と会議の開催地を巡って意見が対立していることなどを考えると先行きが不安です。